伏見人形の源流を訪ねて今から約380余年前(元和元年)に林玄蕃の家臣鵤(いかるが)幸右衛門が深草の里(現・伏見稲荷大社界隈)で子供の玩具に土偶人(土人形)を作ったのが始めとか、また一説には臨済宗東尊寺開山堂の布袋さんを模して人形屋幸右衛門に作らせたのが始まりとする説もあるそうです。どちらにしてもむかし深草に住んでいた幸右衛門という方が作られたのは間違いがないようです。この伏見人形は日本最古の土人形で、日本各地の土人形の源流といわれています。 古来この一帯は土師部(はじべ)の居住地として土偶や土器の製作を行っていたとのこと。大きいものは60センチをこえる巧緻な物から、小は赤物とよばれる子供が遊ぶ一文人形まで作っており、「日本書紀」の雄略天皇の条に伏見(俯見)の地名と贄土師部のことが記載。その頃、土師部の一部が山城の俯見(伏見)に陶地を大和朝廷より賜り、製作に勤しんでいたようです。また深草は伏見と京の中間にあり、良質の埴土がたくさん出た。そして「山城風土記」にこの附近は古くから帰化人の秦氏が住し、稲荷山に稲荷神を祀ったことが記されている。
伏見稲荷大社と伏見人形お寺や神社へのお参りは、封建社会の庶民の娯楽として盛んで稲荷詣でも多くの人出で賑わったことがいろいろな文献で推察できます。いま私たちは、商売の神様としての印象が強いですが、昔から農業神として信仰を集めたころは、五穀豊穣を願ってお稲荷さんの山の土を持ち帰って、田畑に施していた人もいたそうです。説によりますと、土を持ち帰るのは大変なので伏見稲荷の聖土で作った土人形を、家でお祀りするようになったとか…。都の上手の人形には手の届かぬ、庶民の恰好の土産物として全国の神棚を飾った往時が偲ばれます。 伏見人形に秘められた土信仰が稲荷詣でのお土産にいま、伏見稲荷大社は初詣には多くの参拝人で溢れかえりますが、普段は静かな境内で、お山も散策やハイキングコースに変わります。かつては参道前にかけて数十軒の人形屋がひしめき、参拝客は稲荷詣でのお土産として買い求められた伏見人形も、主役の座を追われた感があります。お店の人にお話をお伺いしますと、伏見の土人形は往時の風俗や伝説などをユーモアに富んだ着想で表現。教訓や説話的な信仰そして縁起に結び付けたものが多く、これらの昔ながらの素朴で民俗的な味わいを変えることなく受け継ぎ、残していきたいと力強く語っていただきました。江戸時代の人が愛した伏見人形とまったく同じ物が店先に置かれているのを見ると何か不思議なおもいがいたしました。(ちなみに平成時代の人には干支人形が一番売れているとのことでした。)
|
| 伏見人形館 | ギャラリー | 稲山庵ご案内 | 工房を訪ねて | 伏見商人館トップ | ▲ |